Mark Knopfler / マーク・ノップラー

Mark Knopfler / マーク・ノップラー
Biography

マーク・ノップラー OBE(Mark Freuder Knopfler OBE, 1949年8月12日 – )は、イギリス、スコットランドのグラスゴーに生まれたミュージシャン、ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第27位、2011年の改訂版では第44位。
音楽的にはボブ・ディラン、J・J・ケイル、ハンク・マーヴィン等から強い影響を受けている。
1970年代半ばにロックグループ「ダイアー・ストレイツ」を結成。その後リーダーとして活動休止までバンドを牽引し、スターダムに押し上げる。

 ・ Spotify : Dire Streits / ダイアー・ストレイツ

Dire Straits / ダイアー・ストレイツの活躍

ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)は、イギリスのロックバンド。1970年代末から90年代初頭に掛けて、ポップシーンにありながらも流行とは一線を画した音楽で世界的な人気を誇ったグループである。

1978年にファースト・アルバム『悲しきサルタン』をリリースする。ルーツ・ミュージックに独自の解釈を施した音楽に高い評価を付ける向きもあったものの、当時のトレンドである音楽ジャンルとは異質であり、直ちにチャート・アクションには反映されなかった。しかし、オランダのVPROラジオでファースト・シングルの「悲しきサルタン」がヘヴィー・ローテーションされた頃から風向きが変わりチャートを上昇、その後ヨーロッパとアメリカに飛び火した人気が本国も刺激し、ツアーの効果もあってアルバムは全米で2位、全英で8位を記録し、全世界で1,500万枚を売り上げる。また、ロサンゼルスでダイアー・ストレイツのライヴを観たボブ・ディランは、ノップラーとウィザースをアルバム『スロー・トレイン・カミング』のレコーディング・メンバーに起用した。

1979年にはセカンド・アルバム『コミュニケ』も成功を収めるが、1980年、アルバム『メイキング・ムーヴィーズ』制作中にデヴィッド・ノップラーが脱退し、Eストリート・バンドのロイ・ビタンが代役を務める。その後ハル・リンデスとアラン・クラークが加入し、バンドは5人編成となった。

1982年、アルバム『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』が全英アルバムチャートで1位を獲得し、同作からの先行シングル「哀しみのダイアリー」がイギリスやオランダ等で大ヒットするが、同アルバムを最後にピック・ウィザースが脱退し、元ロックパイルのテリー・ウィリアムズが加入。1983年には、最初で最後の日本公演も行った。同年にはノップラーとクラークがボブ・ディランのアルバム『インフィデル』のレコーディングに参加し、ノップラーは共同プロデューサーも務めた。その後ハル・リンデスが脱退しガイ・フレッチャーが加入。

1985年に発表したアルバム『ブラザーズ・イン・アームス』では、スティングをフィーチャーしたシングル曲「マネー・フォー・ナッシング」の3DCG(当時としては最新鋭の技術であった)を取り入れたミュージック・ビデオが、MTVで大量にオンエアされた効果で全米1位を3週連続でキープする爆発的なヒットを記録。イギリス国内だけでも390万枚以上を売り上げるセールスを達成し、英国内での歴代アルバムセールスランキングでも、歴代7位を記録(2012年5月時点)。また、並行して敢行された2度のワールド・ツアーの効果も相まって、最終的に全世界で3,000万枚を超えるセールスを上げる。なお、このアルバムはLPからCDへの移行期にあたり、大ヒットしたアルバムということもあり、売り上げ内訳で、LPよりもCDが売れたことでも話題になった。

1988年9月、マーク・ノップラーはダイアー・ストレイツの解散を発表し、10月にベスト・アルバム『マネー・フォー・ナッシング』が発表される。ノップラーとガイ・フレッチャーはノッティング・ヒルビリーズのメンバーとして活動。

Mark Knopfler / マーク・ノップラーの活躍

ダイアー・ストレイツでの活動を通して、その独特のフィンガー・ピッキング奏法によるギタープレイや、トータルな楽曲プロデュース能力が、他の多くのミュージシャンの目にとまることとなり、数多くのセッションに参加。ボブ・ディランを筆頭にスティーリー・ダン、エルトン・ジョン、スティング、エリック・クラプトン、ブライアン・フェリー、ジュールズ・ホランドなど数多くのミュージシャンと親交を深める。

また、ほぼ同時期に映画音楽にも参入。『ローカル・ヒーロー』『CAL』『プリンセス・ブライド』『ワグ・ザ・ドッグ』などを手がける。
1988年よりダイアー・ストレイツとしての活動を一度停止し、1990年にはノッティング・ヒルビリーズ名義のアルバム『ミッシング』や、チェット・アトキンスと連名のアルバム『ネック&ネック』を発表。

1995年にダイアー・ストレイツを解散させ、翌1996年にはサウンドトラックを除けば初のソロ・アルバム『ゴールデン・ハート』をリリース。続く2枚目の『セイリング・トゥ・フィラデルフィア』は全世界で400万枚を超える大ヒットとなる。2004年秋にはアルバム『シャングリ・ラ』を発売。2006年には数年来レコーディングを続けてきたカントリー歌手のエミルー・ハリスとのデュエットアルバム『All The Roadrunning』の発売と、プロモーションツアーを敢行する。

その後も『Kill To Get Crimson』(2007年)、『Get Lucky』(2009年)、『Privateering』(2012年)といったソロ・アルバムを全英アルバムチャートのトップ10に送り込み、2015年に発売された8作目のソロ・アルバム『Tracker』ではソロでは初、バンド時代も含めれば24年ぶりとなる全英トップ3入りを果たしている。