Ry Cooder / ライ・クーダー

Ry Cooder / ライ・クーダー
Biography

ライ・クーダー(Ry Cooder、本名:Ryland Peter Cooder、1947年3月15日 – )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ギタリスト、歌手、作曲家。

世界各国のルーツミュージックに対する造詣も深く、アメリカのルーツ・ミュージックを発掘し、世に広めたことは高く評価されている。また、ヴィム・ヴェンダース、ウォルター・ヒル監督作品の音楽にも携わった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、8位にランクイン、2011年の改訂版では第31位。

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Ry Cooder / ライ・クーダーの活躍

16歳にして、音楽活動を始める。1960年代半ばには、タジ・マハールらと組んだライジング・サンズ、キャプテン・ビーフハート、ジャッキー・デシャノン等のバンドで活動。 ローリング・ストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』(1969年)に参加しており、また、同作のレコーディング中に行われたジャム・セッションは、後に『ジャミング・ウィズ・エドワード』(1972年)としてレコード化された。そして、1970年にアルバム『ライ・クーダー・ファースト』でソロ・デビューを果たす。

1979年秋、デヴィッド・リンドレーと組み来日公演を行う。リンドレーとは1984年の映画『パリ、テキサス』のサウンドトラックでも共演。以後も1990年、1995年と再度来日公演を行うなど、度々共演を重ねている。

1980年代以降は映画音楽を多く手掛けるようになり、自己名義のスタジオ・アルバム製作からは1987年の『ゲット・リズム』を最後にしばらく遠ざかることとなった。同作収録の”Goin’ Back To Okinawa”では沖縄民謡風の音階やフレーズにも挑戦、喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加している。

1991年、ライは、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナー、ニック・ロウとリトル・ヴィレッジを結成。翌年同名のアルバムをリリースし、ツアーも行った。

1993年には、インドのミュージシャンV・M・バット、翌1994年にはマリのブルースマンと称される、アリ・ファルカ・トゥーレと共演作を発表。自身の音楽の幅を更に押し広げた。後者『トーキング・ティンブクトゥ』は、1994年のグラミー賞において「ベスト・ワールド・ミュージック・アルバム賞」を受賞した。

1996年、ライはキューバに赴き、エリアデス・オチョア、コンパイ・セグンドといったキューバのミュージシャンたちとアルバム『Buena Vista Social Club』をレコーディングする。同作は、1997年のグラミー賞において「ベスト・トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞」を受賞するなど、欧米を中心に高い評価を受けた。1999年には、ヴィム・ヴェンダース監督による同名の映画も封切られている。