エリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton, CBE、1945年3月30日 – )は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。
ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされ、ローリング・ストーン誌が選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」2位に選出されている。
1960年代からヤードバーズ、クリームなどのバンドでギタリストとして活動。その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。「スローハンド」というニックネームで知られる。
『ローリング・ストーン』誌の2003年8月号のカバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第4位。2011年の改訂版では第2位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第55位。
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Eric Clapton / エリック・クラプトンの活躍
クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる。クラプトンは1963年1月から8月まで在籍。
ほどなくロンドンでも注目を集めていたバンド、ヤードバーズに迎えられる。1963年の秋である。ヤードバーズでのプレイが認められ、その存在が注目されるようになった.
1965年にバンドを去ることになる。その後、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが相次いで「ヤードバーズ」に参加する。
ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。
その後、ジャック・ブルースやジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成。メンバーの即興演奏を中心としたジャム・セッションや実験的な音楽を追求。しかし、メンバーの人間関係の悪化により、バンドは空中分解する形で解散。
クラプトンは新天地を求めてアメリカに渡り、アメリカ南部のミュージシャンとデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。デュアン・オールマンをゲストに迎えて「レイラ」を録音した。
その後もクラプトンは様々なセッションにギタリストとして参加する。その一方で本格的なソロ活動もスタートした。1974年9月14日付のシングルチャートではボブ・マーリーのカバー曲である、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」 (I Shot The Sheriff) でナンバー1を獲得している。
その後、亡くなった自分の息子に捧げる楽曲が「ティアーズ・イン・ヘヴン」 (Tears In Heaven) である。この曲は1992年に全米シングルチャート第2位を記録し、1993年には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。
1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している(元々はカントリー・シンガーのワイノナ・ジャッドが歌っている)。この曲でクラプトンはグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーを獲得している。プロデューサーはベイビーフェイス。
2002年のイギリス女王即位50周年式典のライヴでは、ジョージ・ハリスン死去への追悼としてポール・マッカートニーと共に、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを演奏し、当時の録音同様リードギターを担当し、加えて特別にリードボーカルも担当する。2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国勲章 CBE」が授与された。